ミラノ·スカラ座はジャコモ·プッチーニの没後100周年を、彼の最後のオペラ《トゥーランドット》――作曲家が66歳の心臓発作で亡くなったときに未完で残された――の豪華な新演出で祝った。オペラの最後の10分ほどの音楽の補完については、遺族と指揮者アルトゥーロ·トスカニーニ、そしてプッチーニの出版社リコルディのあいだでもめた末、フランコ·アルファーノが行なった。1926年に同劇場で《トゥーランドット》が上演された際、リューの死の場面――プッチーニがオーケストレーションを完成したのはここまでだった――が終わったところでトスカニーニが指揮を止めて観客のほうを向いて、「ここでオペラは終わりです。なぜならマエストロが亡くなったからです」と述べたことはよく知られている。今回、スカラ座ではこの瞬間を再現すべく、観客全員にLEDキャンドルライトを配った。その箇所で音楽が止まると、合唱全員および観客がライトを点け、一分間の黙祷をした。

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ユセフ・アイヴァゾフ(カラフ)、ローザ・フェオラ(リュー)、アンナ・ネトレプコ(トゥーランドット)
© Teatro alla Scala | Brescia e Amisano

演出家ダヴィデ·リヴァーモアは現代アジアと思しき要素を取り入れながら、スピリチュアルで幻想的な宇宙を想起させ、彼の《トゥーランドット》に新たな世界を創り出した。彼のアイディアと視覚的な言及の多さには圧倒され、華麗で大胆、息をのむような映像が並ぶ。D-Wokの映像は中央に巨大な月があり、回転したり、血のように赤くなったり、透明になったり、花や白いベールで満たされたりして、まばゆいばかりだ。

リヴァーモアのアプローチは精神分析的だ。ピン、ポン、パンの3人はカラフの内なる声として示され、トゥーランドットを愛するという夢のために命を賭けることをやめさせようという常識の声を象徴する。オペラの冒頭でトゥーランドットに求婚し、不幸にも絞首刑にされるペルシャの王子の役はダンサーによって演じられ、通常よりも重要視される。リヴァーモアはプログラムの中において、王子もカラフの内なる声――彼のエゴの誇り高き声――であり、カラフの勇気が主導権を取り、運命を成就するためには、王子を殺す必要があると説明している。

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トゥーランドット
© Teatro alla Scala | Brescia e Amisano

トゥーランドットは、レイプの末殺害された先祖ロウ·リン姫の復讐を果たそうとしている。そのロウ·リン姫の幽霊は、光り輝くシルバーの衣装を着た女優として舞台に登場、トゥーランドットの動作を真似し、その魂に取り憑いていることを視覚的に示す。その脅威から解き放たれて初めて、トゥーランドットは完全に自分の人生を歩み始め、それまで押し付けてきた恐怖から世界を解放することができる。

歌手陣と合唱の動きは綿密に計画されている。リューがトゥーランドットに「氷のような姫君も」と歌うと雪が降り始めるなど、やや陳腐またはせわしすぎるきらいはあるが、演出の全体的な効果は目を見張るものがあり、アイディアや手段はいずれも音楽を尊重し、それに従っている。

アンナ・ネトレプコ(トゥーランドット) © Teatro alla Scala | Brescia e Amisano
アンナ・ネトレプコ(トゥーランドット)
© Teatro alla Scala | Brescia e Amisano

トゥーランドット役のアンナ·ネトレプコは強靭かつ熱のこもった歌唱を聴かせた。持ち前の美しく甘美な声で、高度な技量を要するこの役を力強さと威厳をもって見事に歌い切った。「そしてその叫びは」の箇所では、劇場全体が振動しているように感じられた。高音ではぞくぞくするようなピアニッシモへと音量を落とす一方、低い音域へは勢いよく投じた。こうした低音での歌唱ではやや無理しているようにも見受けられ、呼吸法も最善とはいえなかったが(しばらく前からそうだが)、それでも堂々と立派な歌唱であった。「氷の姫」にふさわしく、舞台を支配し、その声のパワーによって他の人々を服従させた。

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ユシフ・エイヴァゾフ(カラフ)とアンナ・ネトレプコ(トゥーランドット)
© Teatro alla Scala | Brescia e Amisano

カラフを歌ったのはユシフ·エイヴァゾフ。技術的には完璧で、フレージングも洗練され、強弱も思慮に富み、声の支えもしっかりしていて、呼吸のコントロールも卓越していた。高音は安定しており、しっかりと保持され、喝采を呼んだ。見栄えする衣装を着て、舞台でもそれなりに動いていた。ただ残念なのは、見事な技巧を持っているが、肝心の声が天から授かったものではないことだ。やや鼻がかった、つまんだような声で、とりわけ特定の音域(わりと高音域、ただし超高音ではない)で顕著である。

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ユシフ・エイヴァゾフ(カラフ)とアンナ・ネトレプコ(トゥーランドット)
© Teatro alla Scala | Brescia e Amisano

リュー役のソプラノ、ローザ·フェオラの声は、ネトレプコの声と補い合うもの。銀のような輝きを放つ高音、優しいピアニッシモ、そして自然な美しさがすべての心をとらえた。その一方で、その声は意外にも気の強さを示し、舞台ではめったに表現されることのないリューの激しい一面を明らかにした。彼女の死の場面は感情と情熱に満ち、とても胸を打つものだった。

指揮のミケーレ·ガンバは、プッチーニの音楽を存分に鳴らし切ることよりも、制御することのほうを気遣っているように聞こえた。たしかにオーケストレーションがとても分厚いことで知られ、ピットが舞台を圧倒し、演奏全体を支配してしまう危険性はある。ガンバは音量を管理可能な範囲に抑え、歌手たちを立派に支え、彼らの歌に従い、十分に呼吸がとれるよう注意していた。「皇帝陛下万歳!」のような荘厳な場面では、 迫力がやや足らなかったかもしれないが、「なぜ月の出は遅いのか」のような詩的な部分は透明感があり、細部まで洗練されていた。合唱はすばらしく、自信に満ち、楽譜を深く理解しており、音域の両極端もやっかいなリズムも巧みに操っていた。


This article is also available in English.

Translated by Nahoko Gotoh.

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