ヴァイオリニストにとって、単一の作曲家のプログラムでツアーを行うには勇気がいる。それがブラームスのヴァイオリンとピアノのための全作品ならなおさらであり、たいていの奏者ならひるむだろう──ヒラリー·ハーンを除けば。とびぬけて繊細な感性の持ち主であるハーンは、ウィグモア·ホールにおいてブラームスの3曲のヴァイオリン·ソナタというハードなプログラムを見事に弾き切った。

冒頭に演奏されたヴァイオリン·ソナタ第1番 ト長調は1878年と1879年の夏、ブラームスが休暇を過ごしたオーストリアのヴェルター湖で作曲された。とても明朗な作品だが、ハーンとピアニストのアンドレアス·ヘフリガーは第1楽章ではテンポ表示のなかの「マ·ノン·トロッポ(しかし、過ぎずに)」を尊重し、やや瞑想的な雰囲気を作り出した。それによって、夏という無邪気な季節の中で内省するブラームスを呼び起こした。
最初のうちは、ソリストとピアニストのバランスが取れていない箇所がいくつかあった。ハーンはつねにステージを支配し、音程も完璧でいつものように楽器をよく鳴らしていたが、ヘフリガーのほうは両端楽章でときおり苦心していた。それでもハーンは、テンポが合わないときも忍耐強く、パートナーがブラームスの入り組んだリズムに難儀しているときもやさしく対応した。しかしそうした不安も、緩やかな中間楽章では解消された。ここではヘフリガーの演奏は理想的で、ハーンが豊潤な重音でホールを満たすのを支えつつ、ふたりであふれでるロマンティシズムに浸った。曲の終結では、E♭の保続音の上で奏されるヴァイオリンの悲しげで静かな旋律が儚げに消えていった。
ブラームスは1886年からは夏の休暇をスイスのトゥーン湖で過ごすようになり、ヴァイオリン·ソナタ第2番および第3番はそこで作曲された。イ長調の第2番のソナタではハーンとヘフリガーの息はぴったり合っていた。第1楽章アレグロ·アマービレは甘美で、第3楽章も確信に満ちていた。ハーンの鋭いオクターブもヘフリガーの速いパッセージも見ていてスリリングだった。唯一の欠点は、第2楽章でピアノの音量が往々にして大きすぎたことだ。同楽章は緩徐楽章とスケルツォが合わさった形を取るが、ヘフリガーはそれらの対照的なセクション間の移行にすばやく対応できず、ハーンの繊細なピッツィカートを何度もかき消してしまった。
休憩をはさんでニ短調の第3番のソナタが演奏された。3作のうち唯一の短調のソナタであり、しかも3つはなく4つの楽章から成る本作は、濃厚で高いドラマ性をもつ。激しさをむきだしにした第1楽章では、苦悩に満ちた半音階進行が前面に押し出されていた。他方で、室内楽よりもヴァイオリン協奏曲の緩徐楽章を思わせる第2楽章では、豊潤な和声やオーケストラ風のサウンドに浸り、観客をすっかり魅了した。そして、火花を散らすように始まった終楽章ではお互いの強弱や色彩の変化にすばやく反応し、演奏は最高潮に達した。ハーンは黄金の音色を響かせ、ふたりで力強く充実した結末を築きあげた。
つづいて2曲のアンコールも大いに盛り上がった。「F-A-Eソナタ」のなかのブラームスによるスケルツォ楽章──これで彼のヴァイオリンとピアノの作品がすべて揃ったーは速くて猛烈であったが、その前に奏されたアメリカの作曲家ウィリアム·グラント·スティルの「母と子」が思いがけず胸を打った。ハーンは曲についての紹介で、スティルは1895年生まれなのでブラームスと時代が2年重なっていて、その影響を新世界、そして新しい世紀へと伝えたのだと語った。
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Translated by Nahoko Gotoh.